2017/4/14

中高の頃、スピッツのライブのチケットを取るのが大変で、というよりお金がなさすぎて、だって年間8000円?くらいのファンクラブの会費が毎年払えなかった。で、ただでさえキャパの少ない地元の公演のチケットなんか取れる訳ないしスピッツおばさんたちは必死で怖いから地方まで飛びまくってチケットを漁ってる、おもなしく最寄りの公演で落ち着いてろよと思っていた、10年後、そのおばさんになっていた、わたし。長野の公演に当たった。土日の公演が少ない中での長野かぁ。宮城でも良かったなって行ったことないし。長野だったら日帰りでいいかなぁ。2017年春のわたしは大きく進歩したからこの前はベトナム料理屋で苦手な大葉の入った生春巻きをなんてことなく食べれたしなんとなく行く気の起きない野外フェスのチケットが手元に2枚もあるし遠征なんてお金がかかるだけでする理由もなかったのに今月末はひとりで夜行バスに乗って友達のライブを観に行く。できること、許せることが少しずつ増えていったらもう少し気持ちに余裕ができるのだろうか。業務のあの人みたいなおばさんにはなりたくないしなぁ。あの人はあの人で大変だろうなぁって思うけど。いちいち気になって言わきゃ気が済まないのもそれはそれでストレスである。疲れちゃうんだろうなぁ。遠征のことを考えて、学生のときいかに自分がカツカツで生きていたかを実感する。服とか化粧品とかいつ買ってた?ってくらいありもなしないお金を音楽に捧げていたなぁ。普通の女の子が恋人のことを考えて眠れなくなったりかわいくなりたくて服や化粧品を揃えたり恋人とイチャイチャしたりする時間をわたしは睡眠と暗い地下のライブハウスに費やしていた。そこで出会ったキラキラの光、わたしはこれで良かったって少しも間違ってなんかないって今でも胸張って答えることができるよ。だって人はひとりでしか生きれないもん。認めてもらえる快感が得られない悔しみからかもしれない、だからこそ救われるって言葉が当たり前のように出てくる。あの頃よりかはお金にも余裕が出てきてわたしは少しは大人っぽくなったもしれないけれど音楽に対しての気持ちは変わらないしむしろ強まってる、救われ度とか音楽を聴く頻度とか聴き方とか。一生逃れられないんだろうなぁ。あぁどこまで感動できるんだろう。満たされたい。f:id:ayacaa:20170414214642j:image