2017/3/5

ここ一ヶ月くらいでわたしにしては本当にたくさん心が動かされることがあって、たくさんの人と会っていた気がする。散々考えてたつもりのこと、ほんとは全く周りが見えてなかった結果のいまであって、わたしはこんな歳になってもずっと頭が悪いままで、わたしの判断よりも他人の判断の方が明らかに正しいということはわかっていてもほんのちょびっとの可能性に浮かれて頑固に自分を突き通してしまう。あの子がライブハウスでわたしのことを無視するくせにラインのやり取りはいつも通りなこととかライブハウスでわたしがあの子に声をかけられなかったこととか。ばかだなーって思われてるの見え見えでもばかなんだからしょうがないじゃないで開き直ってまた次の約束を勝手に決めてしまう。片思いの好きってこんな感じなんだなぁってどんだけ隠してても言っちゃえば気持ちはすぅっと逃げてっちゃうし付き合うイメージが想像できなかったのもきっとおんなじような理由なんだろうけど、最初からスタートラインの時点からラインの位置は全然同じじゃなくてわたしがどれだけ負けたくなくたってあの子はどんどん進んでいってしまうのとか怖くてたまらないし忘れられてほしくないしつなぎとめていたいなんてわがまま極まりないくせにあの子にとってはわたしのことなんてこれっぽちの悩みのタネにもならないことはずっとわかってるよそんなの。だから悔しいんじゃない。だから悲しいんじゃない。送られてきた弾き語りの動画の向こう側へ何度飛び込んでいけたらなんて思ったことか。好きの理由も重みもあの時の言葉もどんなだっていまになったらただの言い訳にしかないきえたいしにたい思ったって結局どうにもなれずに時を過ごしていくしかないのでしょう。春はこんなにザワザワさせてくるなんてまったくズルいよ、嫌いになれるわけないじゃない。