2018/3/11

震災から7年が経った。わたしはあの震災で家族や知り合いを亡くした訳じゃないけれどそれでもあの衝撃は絶対忘れちゃいけないと思うし毎年この時期になるとあのときのことを思い出すんだと思う。ちょうど高校の卒業式を控えてて卒業式の練習と二次会の予行練習で学校に通ってる時期で震災の前日わたしは貧血かなにかで珍しく学校で倒れて次の日の二次会の予行練習は中止にしようってことになって震災の日は家にいた。もしなんでもなく学校に行ってたら帰れなかったし他の登校してた子たちと同じように学校で1泊したんだと思う。こういうところもわたしは「もってる」って言われるんだろうなぁ。両親は出かけてて家に妹と二人でいるときに地震が起きて、学習机の上に無造作に並べていたCDがバラバラ落ちてきて妹が発狂してベランダに出て大声で叫んでいた。妹を宥めて二世帯の下に住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんのとこに行ったらおじいちゃんが妹に「ゆきは大きい声が出るなぁ」って笑っていた。15時になったから犬の散歩に行かなきゃってなってぽんたさんの散歩に行った。カフカを聴きながら。実家のまわりは市の木でもあるクロマツがいっぱい生えていて1本松の木がかなり上の方からポキッと折れていて横の家の屋根に綱渡りしてたのを覚えてる。知らないおばさんが声をかけてきて危ないから早く帰ったほうがいいですよって言ってきた。夕方お母さんもパパも帰ってきてラジオを聴いたり水を備えたり。次の日はすごくいい天気でみんな家にいてわたしはミドリカワ書房の「ミドシンを聴きながら」って曲をずっと聴いていた。ツイッターを開けば本当か嘘なのかもわからないSOSで溢れていて怖くてタイムラインを追えなくなって、そんななか朗らかなメロディと「それでもわたしは今日も生きている」っていう歌詞だけがわたしを肯定してくれた。今日は夜にNHKで大切なものはなんですかっていう特別番組が生中継でやっていた。日本でいちばん好きな映画監督のひとりである山戸結希が出ていた。一般の人がスマホで撮影した大切なものの動画を編集して紹介していて最後に山戸監督編集の作品が流れた。素材そのものの強さももちろんあったけれど、それ以上に言葉の強さに打ちのめされた。生放送でとても緊張している山戸監督の早口になっても発しようとすることばひとつひとつが作品に散りばめられていた。BGMはスピッツの「ジュテーム?」。わたしが好きな男の子に歌ってほしい曲ナンバーワンの曲。わたしの大切なものが監督と直接結びついた気がして嬉しかった。わたしはいつだって大切なひとを大切にしたいし喜ばせたいし優しくしたいしそれでも根底には困らせたいしいつだって悩みのタネでありたいって思ってる。スピッツのジュテーム?って曲は愛の究極地点だと思ったりしてるんです。大切なもの、友達、趣味、家族、ずっと大切でいれる保証はないけどずっと考えてたいな。